九セラ/関セラ/愛セラ…セーラー服の正統派はどれ!?

皆様御存知の様にセーラー服には様々な御タイプが御座いまつ。
首都圏型セーラー服、関西型セーラー服、愛知型セーラー服、四国型セーラー服、裏日本型セーラー服、九州型セーラー服、沖縄型セーラー服等々…。では、セーラー服の御タイプの正統派はどの型なのでしゃうか?
勿論夫々(それぞれと御読み致しまつ)のセーラー服に夫々の萌えポイントが御座居まつて、今更何れが正統派か等と御拘りに成る事は今更無意味では御座居ましゃう。
其うでは御座居まつが、セーラー服が御誕生為さった当初の元祖セーラー服の基本に現在でも最も忠実なセーラー服は何れかと言う謎は、セーラー服御愛好家に取りまつては、矢張り御気に掛かる所なので御座居まつ。

【平安女学院】

平安女学院 セーラー服

此方、京都の平安女学院様はセーラー襟の付きまつた制服としては1920年11月、日本初のセーラー襟制服採用校では御座居まつ。
然し乍ら、平安女学院様の此の制服は、一繋がりのワンピース型で御座居まつので、現在我々が申し上げる所の所謂(いわゆる)「セーラー服」とは別物と御区分する事が出来まつ。

其れ故に、此処では除かせて頂きまつ。

【福岡女学院】

福岡女学院日本最古のセーラー服

此方、福岡女学院様は、1917年からセーラー服導入を検討、21年に導入と言う事でつが、現在のセーラー服の直接の御先祖様と申し上げる事が出来ましゃう。
大きなセーラー襟と胸当て以外にも、上着とプリーツスカートから成って居る事、ゆったりと太目の御袖が手首のカフスで絞られる事等、現代のセーラー服に通ずる御特徴を御備えに成って居らっしゃるからで御座居まつ。
其うでは御座居まつが、現在のセーラー服と御比べ申し上げまつと、上着丈が長過ぎる様に御見受けられまつ。

【金城学院】

金城学院 日本最古のセーラー服 名古屋襟

此方は名古屋の金城学院様、福岡と同じ1921年採用で御座居まつので、日本最古と申し上げる事が出来まつ。
セーラー襟と胸当てと言うセーラー服たる第一条件のみ成らず、太い御袖がカフスで絞られる点、上着とプリーツスカートから構成される点、其して短かい丈の寸胴型の上着等、正に現在のセーラー服の御特徴を全て兼ね備えて居らっしゃ居まつ。
其ればかりか、五角形の胸ポケットも、現在のセーラー服に確りと(しっかりと)受け継がれて居らっや居まつよね。
股、3本の白線が、襟とカフスだけで無く、胸当てと胸ポケットにまで縫い付けられて居らっしゃる事も、見逃せません。
現在我々が「セーラー服」と御聞きして思い浮かべる典型的セーラー服其の物と申し上げる事が出来るでしゃう。

【正統派セーラー服の発祥地は名古屋】
此の様に御考察致して参りまつと、名古屋の金城学院様が、セーラー服が現在迄続くセーラー服の原型、即ち正統派と申し上げる事が出来る様に思われまつ。
恐らく、福岡女学院様が開発されたセーラー服を、金城学院様が参考に御改良為さったのでしゃう。
其して、金城学院様のセーラー服が御手本とされ、セーラー服は全国に広まって行かれたのでしゃう。

【最初期の正統派から独自の進化を遂げた名古屋のセーラー服】
一方、セーラー服の直接の御先祖様で在らセラれる名古屋のセーラー服は、其の型を其の侭留める事は無く、独自の進化を辿って行かれまつ。
白3本線が襟とカフスだけで無く、胸当てと胸ポケット迄縫い付けられて居た当初とは打って変わり、名古屋圏では襟以外の線が消滅して行きまつ。
学校に拠りまつては、襟にすら線が全く無いというセーラー服迄御登場為さりまつ。
NHK「中学生日記」のセーラー服が正に其れでつ。

セーラー服 芋セーラー服 芋セラ 愛セラ 愛知型セーラー服 巨大純白襟カバー 中学生日記 女子中学生 jc
「中学生日記」のセーラー服。襟、カフス、胸当て、胸ポケットの何処にもセーラー線が無い

股、襟線は1本或は2本が主流と成り、3本線の学校は少数派と成りまつ。
其して、襟の上に大きな白い襟カバーを御付けすると言う独特の御特徴を御備えに成った、所謂(いわゆる)「愛知型セーラー服」「愛セラ」と呼ばれるセーラー服として進化と遂げらて逝く事と相成るので御座居まつ。

嗚呼、セーラー服の御話は尽きる事が御座居ませんね!
誠に何処迄も奥深い、セーラー服の世界なので御座居まつ(´-`)

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